誰のための医療なんでしょう?
- 糖質制限
昨日、試作品の糖質制限チョコレートをボリボリ食べてると止まらなくなりました。
お陰で昨夜は強烈な胃もたれ。
愚行後悔先に立たず、あらてつです。
何事もほどほどですね、やっぱり。
さて。
先日コメントをご紹介したしんさんから、またまたコメント頂きました。
『疑問
どんな治療でも必ず治るという保証はできないでしょう。
糖質制限を理解し、自ら望む患者はそんな保証求めていません。
長期のエビテンスが無いことも知っています。糖尿病学会の高糖質カロリー制限は治療効果がないというエビテンスは事実上あります。
糖尿病の可能性が知らされ、自分である程度調べて、私は合併症の恐ろしさに震えました。
短期間の安全性、効果が実証され、エビテンスとまではいかなくとも多くの方が長期にわたり合併症なく元気でおられ、理論的に大丈夫であると推測できるのであれば十分すぎます。
糖尿病は基本的に感知を望む治療法がないのでしょう。
だったらエビテンスとまではいかなくとも十分すぎます。
長期のエビテンスまで求めれば、新しい治療法はすべて行えません。医学や科学の進歩はありません。
患者が望むなら、短期的な安全性や効果が認められれば、経過観察を続けながら、治療をするのが医師や科学を志す者の態度だと思います。』
しんさん、コメントありがとうございます。
お書き頂いてること、正にその通りなんですね。
どんな治療にも「絶対」なんてありません。
患者は「絶対」治るを求めてるわけではないんですね。
「良くなる可能性」と「悪化するリスク」を天秤にかけて、「良くなる可能性」を選択したいんですよ。
ところが、今の糖尿病治療では、患者側に選択肢はありません。
「良くなる可能性」の選択すらできないのが現状です。
しかも、「良くなる可能性」のある治療に対して、何の科学的医学的根拠もない感情的な批判ばかりで、話を聞く姿勢すらありません。
健全な議論は、医療の進歩の為に必要だと思いますが、感情的は批判は何も生み出しません。
バランスの取れた食事、肉が体に悪い、油が体に悪い、どれもなんの根拠もない「迷信」です。
その「迷信」を金科玉条の如く振りかざして糖質制限を批判する。
これでは、いつまで経っても患者は救われません。
何故ここまで感情的になれるのか、理解に苦しみます。
患者の為の医療ではなくて、自らの利益の為の医療になっている気がしてならないのですが…。