やっぱり運動しても糖尿病の予防にはならんのじゃないかなぁの結論(?)編
- 糖尿病
『こんにちは。 運動量と糖質の量についてはあらてつさんのご推察通りだと思います。 要は食事の(間食も含めて)内容でしょう。 昔の人、と言っても姑の事なので、大正から昭和初期ですが、朝は夜明け前から夜は辺りが暗くなる頃まで外仕事、赤ん坊は上の子が面倒を見る、という生活でした。子どもはせいぜい炒り豆をポケットに(手拭いに包んで腰に下げたり)、日がな一日遊びまわってました。 たまに、芋やかぼちゃをどーんと炊いてもらって、それがおやつ、というか御馳走らしかったです。 砂糖の代わりに里芋を擦って団子に入れたり。でも、毎日じゃあありません。 勿論、かぼちゃや大根を炊くのに砂糖もみりんも使いません(高級品だったからですね)。芋は蒸すとか焼く、茹でるだけで、スイートポテトのように砂糖たっぷりは有り得ません。 お酒だって祭りか、法事の時ぐらいです、へべれけになるまで飲めるのは。 たくあんや梅干しを甘くするようになったのは糖尿病の増加と比例すると思います。 「減塩」の反動でしょう。 特に庶民の生活はその土地で採れた物、その季節の果物のみを食していた訳で、余分な物を摂っていなかったのです。 よく言うじゃないですか、金持ちの子はひ弱だって。 因みに、かの伊達政宗は糖尿病だったんですって。 当時の文献に「水飲み病」とあるそうです。やっぱり殿様は御禁制?の砂糖たっぷりのご馳走漬け、お酒も思う存分飲めたのでしょうね。 時代があっちこっちになって、済みません。 姑は私が芋やカボチャを敬遠すると「わたしらは昔っから芋やかぼちゃばっかり食べてたけど…」と言いますが、食糧事情がこれだけ変わったことが理解できてないみたいです。』 かあさんさん、いつもコメントありがとうございます。 まさに仰るとおりだと思います。私の父母の世代も、戦争終わってひもじい中育って、ようやく食卓が豊かになったのは、高度経済成長期以降だと言います。 縄文時代を例に出すまでもなく、つい最近まで白い米なんて庶民が腹いっぱい食べるなんてできなかったことを、豊かになりすぎて皆が忘れてるような気がします。 次は、ゆうさんです。 『私は運動量より食事によるところが大きいかと思うのですが・・・。 アントニオ猪木氏のかつての食生活は常に数人前が当たり前だったそうですし、新浦投手も発症前は糖質ばかりかなりの量を摂っていたそうです。 いくら運動量が多くても、糖質ばかり摂っていたら糖尿病になって然るべきなのではと思います。』 ゆうさん、コメントありがとうございます。 摂取した糖質のカロリーを運動で消費したとしても、やはり膵臓に負担が掛っていることにはかわりありませんよね。 やはり、糖質の過剰な摂取が糖尿病増加の一番の原因となってるんですね。 shoさんから頂いたコメントです。 『昔の人は、糖質摂取量が少なく、且つ、運動量が多かったので糖尿病になりにくかったのだと思います。 あらてつさんの仰る通り、昔の人はインスリンを節約するようなライフスタイルだったんですね。 ほとんどインスリンを介さず、GLUT4の働きを活用していたんでしょうね…。 それが、本来の姿だと思います。 糖質摂取は、運動量に見合ったものでなければならないという事ではないでしょうか…。』 shoさん、コメントありがとうございます。 「糖質摂取は、運動量に見合ったものでなければならない」 まさにその通り!やはり何事もバランスが大事ってことでしょうか。 運動しない上、精製されて急激に吸収される糖質を多量に摂取する現代人のライフスタイルを見直す必要があるのでは?と個人的には思います。 では、結論です。 「過ぎたるは及ばざるが如し」 この言葉に尽きると思います。 糖尿病の予防には、糖質の摂取を控えめor未精製の糖質に切り替えて、適度な運動でインスリンに頼らず糖質を摂りこめるようなライフスタイルが望ましいのではないかなと。 いくら運動してても、山盛り糖質を摂ってては効果があまりないどころか、全く予防につながらないこともあるってところですね。 コメントくださいました皆さん、ありがとうございました。]]>